値決めの妥当性 普通の営業組織において

ちょっとたこふじの話はおいておいて、通常の営業組織における、値決めと原価の考え方について
お話をしようかな、と思う。
元ネタは、@ITにあった、この記事http://www.atmarkit.co.jp/fbiz/cinvest/opinion/qa/qa20.htmlである。
正直、最初に読んだときには、この記事なんじゃろなあ、と、思っていたら、同じような感想をもたれたらしく、
A.R.Nさんが、ほんとに使えるのかしら、という日記を書いていらっしゃった(http://d.hatena.ne.jp/arn/20050412)。
ということで、少し私なりの解釈を加えてみようと思う。


まず、そもそも経営サイドからみたときの、営業部の役割を考える。
結局のところ、「固定費」をカバーし、利益を上げるように売ってくれ、ということである。
換言すると、最低限、損益分岐点を越した、ということを、担保してくれ、ということである。


損益分岐点分析は、みなさん知っていると思う。
固定費と比例費を分解し、いくら以上売上があると、利益が出るか、という分析である。
教科書には、大抵、損益分岐点は83%ですね、もっと低くしましょうね、みたいな分析をやっている。
しかし、現実のオペレーションに落とし込むときには、もう少し違った形を取る。
損益分岐点を越えるための「売上高」と、損益分岐点を越える前提の「利益率」ひいては「値段」を決めるのは誰か?
もしくはノルマとして責任を持っているのは誰か、という形で分解されているのである。


たとえば、固定費のカバー、ひいては利益の責任は、営業チームのマネージャにある、としよう。
この場合、おそらく、値決めの決定権はマネージャにあり、営業員は売上高のみにノルマがあるはずである。
つまり、損益分岐点を越えるための「売上」の努力は営業員が、「値段」は、部員の売上高と
その見込みをベースに、マネージャが決定することにより、損益分岐点の確保を担保する。
逆に、各営業員が値決めの権限まで持っている場合は、「粗利益」の絶対額が
ノルマとして渡されているはずである。
みんながノルマを達成すれば、利益が確保できるはず、という理屈である。


それぞれの体系に必要なシステムは、以下の要件になる。
最初のケース
・単価マスタのメンテナンス権限は、マネージャのみに持たせる
・予算実績対比は、各営業員ごとの売上の予算実績対比と、部門としての粗利益の予算実績対比
(ということは、売上の予算対比と販売単価の予算対比)となる
後のケース
・単価マスタのメンテナンスは、各営業員が行う。
・予算実績対比は、各営業員ごのと粗利益実績対比となる
ちなみに、商社という日本独特の会社組織においては、営業員ごとにB/Sも管理する、というケースもある。
商社という会社組織は、非常に面白い特徴を持っている、と、私は思うのだが、
その話は、また別の機会にすることにしよう。


さて、@ITの記事である。
システムができることは、結局予算に対する「実績」の進捗度合いだけである。
その進捗度合いをベースに、今度の商談の条件をどうするか、ということを決めるのが、
営業部のマネージャもしくは営業員となる。
ここから先は、システムの話ではなく、意思決定をどうするか、という話なのだが、その話が、@ITの記事、という位置づけである。
つまり、「売上高」と「粗利益額(値段)」のみが営業の気にする話ではないんだよ、という話なのである。


では、それ以外に気にするべきはなにか。
リソースの有効活用である。


一般に企業のリソースは有限である。
で、そのリソースが遊んでいる状態なら、利益率の低い仕事を取ってきてやってもらうのもいいだろう。
ところが、リソースが逼迫している状態で、こういう仕事を取ってきてもらうと、困るわけである。


例えば、R/3の業界でも、昨秋来、業界全体のリソースが逼迫し単価が高騰する、ミニバブル状態が発生している。
ところが、本当はもっと単価の高い仕事に投入できるリソースを、「今売れているから」という理由で、
抜く努力もせずに放置する営業が結構いるのである。
本来なら、ほかの仕事にアサインしたときの期待収益と現在の収益とを天秤にかけ、判断をするべき
(機会原価の考え方である。もちろん、これからの付き合いとか、各種のファクターはあるが)なのだが、
「結果」だけを判定する会計システムを使って業績評価をすると、「利益」が出ているものだから、
優秀な結果を残していることになってしまうのである。
本当は、確保できる利益を逃しているのだから損失を与えているのだが、
会計システムからは、その実態は図れないのだ。
(聞いてるか?ウチの営業ども!!)


@ITの記事は、会計と「損得勘定」は別だ、と、書いてあったが、どうやら上記のような
危険性を指摘した記事、ということになりそうである。