正義っていうか・・・考え方

今回は、こちらの本のご紹介。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

この10年で読んだ本の中では、なんというのか、一番ぐっとっくる本だった、実際。
ネットの言論ってやつを見るときにも、この本の言う大きな3つの考え方が、せめぎあってるんだな、という道筋ができて、急に世界が見えてきたよう感じられるし、自分の意見というのも、実はどれかに立脚している、というのも、腑に落ちた。


3つの考え方

3つの考え方というのは、ざっくり言えば、功利主義自由主義・美徳、という考え方。
自分なりに、すんげ〜おおざっぱにまとめると、功利主義は全体が得すりゃいいよね、という考え方だし、自由主義ってのは、各個人が尊重されることが重要、という考え方。美徳ってのは、「正しさ」というのを何にせよ持っているわけで、それを大事にしよう、という考え方。

それぞれは、単独で見るとそれぞれ「まあそうだよね」というお話なんだが、実は対立するケースが多いよね、というお話が連打で出てくる。

たとえば、功利主義自由主義の対立。極端な話、誰か人柱に出すことでほかの全員が助かる、という状況で、ほかの全員が助かるならOK、だって全体として利益が上がるから。自由主義はダメ。個人を尊重しないといけないから。自由主義っていうからには、自分が人柱になる、という意思決定をすればOKかと思ってたけど、それは、理性ある人間を(自分の体であっても)道具として使うわけで、尊重していないからNGなんだそうだ。

美徳と自由ってのもある。
他人の子供と自分の子供がおぼれている。一人しか助けられない。どっちを助けるか?
理性ある人間の尊重という自由主義の立場からすれば、「どちらも同じ命」。
けれど、「家族とは助け合うものである」という家族に対する美徳を、実はみんな持っているから、自分の子供をたすけても、文句言う人はあまりいない。
これ、ちょっと大きくなると、他国で地震が発生したときに、日本人だけ最優先で助ける大使館の役目は正しいのか(現地の人を押しのけて助けるはありなのか?)という命題にもなるわけだ。


じゃあ、自分はどうなんだ、と。夫婦別姓を考える

自分自身は、自由主義の人間だと思っていて、誰かが決めた「価値」というものは、自分で選択して初めて「価値」だ、そう思っていたのだが、なるほど、暗黙のうちに同意している美徳って、実は多いんだな、ということに気が付いた。

たとえば、夫婦別姓
夫婦別姓に関しては、自由主義的な自分は、「まあ、いいんじゃない」と思うのだが、横から別の自分が「え〜?ほんと?そうじゃないっしょ」と、語りかけてくる。
その正体を、今までわかっていなかったのだが、「結婚」の美徳を、私がどう考えていたのか、いや、どう感じていたのか、という点と、深くかかわっていたんだな、と、今さらながら、正体突き止めたり、という感じになった。

田舎の長男坊だった私にとって、結婚とは、今までアカの他人だった人を一族へ迎え入れ、一族の繁栄のために一緒に努力する人を決める行為という定義づけが、無意識のうちにされていたのだ。一族に迎え入れたことの証に、姓を一族のものとするのは、その結婚の美徳から考えると当然、そんな風に思っている自分が、自由主義的な自分の「まあ、いいんじゃない」に、異議を唱えていたのだ。

ということで、もうちょっと考えてみる。
もし、夫婦別姓に関して、美徳を支持する側の自分が納得する答えってないんだろうか?


折り合いのつく考え方

ひとつは、美徳そのものに対する懐疑。
結婚の美徳って、一族へ迎え入れることだ、ってこと自体が違うよね、という話。
ただ、これは、やっぱりだめだな〜。家族ってやっぱり大事だし、結婚するから家族になるんだし。先祖あっての自分、ってのは、本当にそうだと思うし。
本の中では、「物語的道徳」なんて言葉が使われていたけれども(多分、英語のcontextを無理やり訳したんだろうな、という用語)、それはやっぱり大事だと思うわけで。そうじゃなくって、家族や身内だけではなくて、全部の人を愛するなんて博愛主義は、おいらにはとても無理だしな〜

もうひとつは、美徳とほんとうに関係があるの?という懐疑。
うん、こっちのほうがなんかしっくりくる。今一緒に住んでいるヨメさんのお母さんは、当然姓が違うわけだけれども、家族じゃないのか、っていうと、決してそんなことはないよね、実際。けれども、当然私とは姓は違う。けど、家族。ってことは、少なくとも、私の中では、一族へ迎え入れているわけで、それと姓が同じかどうかなんてのは、実は関係ないのか・・・じゃあ、夫婦別姓で何が悪いんだ、ってことか。
うん、これなら、美徳を重んじる自分とも折り合いがつくね。

こういう、思考のフレームワークを与えてくれたという点で、とっても役にたった本だった。決して、正義を教えてもらう本じゅあない。実際、著者の思想自体は、全体主義に陥る可能性を低く見ている印象があり、私には同意できない内容だった。
けれど、それを差し引いても、これから何度か、読み直すことになりそうな本である。