映画5年ぶり

今週はプロジェクトスタートの週ということもあって、
今日は早めの帰宅である。
つっても、某地方都市からの帰宅L/Tはかなりあるので、
いつもよりちょっと早い時間に都内に着なのであった。
で、ほんとーに久しぶりに映画を見に行った。
亡国のイージス」である。


思い起こせば、最後に映画館で映画を見たのは、
マトリックス」だったら、本気で5年ぶり。
いわば、映画の初心者に戻っているはずだから、
原作を読んでいても、あれだけの役者をそろえているのだから、
それなりに楽しめるだろう、
そう思って1800円払ってみたのだが・・・
ごめん、やっぱあかんわ。
「原作を読んで映画みたら、やっぱりだめだよね〜」
とか、ありきたりのことを書くつもりはないんだけど・・・
オイオイ、いったいどうしたかったんだ??


ここから先は、ある程度ネタバレになってしまうので、
映画を見に行きたいかた、まだ原作を読んでいないかたは、
読まないほうがいい、という前フリをかましておきましょう。
人間ドラマにしたかったのか、アクション映画にしたかったのか、
そいつがよーわからんのですよ、ほんとに。


まず、上映時間は2時間。
これは、おそらく製作サイドにとっての制約だったに違いないと思う。
そうすると、あの原作を全部やるなんてのは当然アウトだから、
どこかに力点をおかざるを得ないわけである。
そうすると、原作の「重さ」か、「疾走感」か、どっちを取るのか、
そういう話にならざるを得ないんじゃないか、そう思うのである。


実際、思いっきりチャチなダイハードでよかったわけですよ。
どっちかっていうと、それを期待してこっちは行ってるわけですから。
ウケないだろう「重さ」を切り捨て、ミサイルドンパチ、
鉄砲パンパン、そんな映画でよかったんじゃないの、
そういう話なんですわ。


しかし、どうやら監督さんは、原作の、あのなんというか、「重苦しさ」。
心臓に爪たてられて、がりがり削られているような、
そんな錯覚を起こす、ひとりひとりの「重さ」、
それをなんとかして表現しようとしていたんだろうなあ、
そう思うわけなんですな。
そりゃそうだよね。
寺尾さんだよ、寺尾さん。
あの人をキャスティングしたら、そういう芝居をしてもらいたくなるよね。
うんうん。そりゃわかるんだよ。


しかしね、結果、どうなってしまったかというと、
アクションほどほど、「重さ」はアクションに引きずられて
その重みをどさっとおろしてしまった状態で、
寺尾さんなり、その他の役者さんなりに、
場面場面で「重い」セリフを任せてしまう、という、
どうみたって、中途半端なつくりになっていたわけですな。


だってさああああああああ。
如月は勢いで父親殺したみたいになってるし、
宮津さんとその息子の葛藤みたいなものは、全部ショートカット。
その状態で、「おとうさんがわるかったんだな」っつう話になってもさあ、
きょとんとしちゃうよ、そりゃ。
とどめに、菊政なんて、おばさまサスペンスで最初に殺される人よりも
かる〜く殺されちゃうしさああああああ。


それとねえ、「亡国のイージス」の論文に、みんなが影響される、
ということを強調したかったんだろうけど、
「日本という国は誇るものがない」というセリフに、
みんなが簡単に納得もしくは同調しちゃうんだよね。
原作が出た99年当時の世相ってのは、
みんなが自信をなくし、経済の話題はリストラ一色。
その当時の雰囲気なら、スッと入ってきたセリフなんだろうけれど。
そこに私はひっかかってしまって、感情移入できなかった。


ただ、しゅれっと出てくる岸部一徳が、かなりあなどれなかった。
「平和は戦争の狭間にある」
その徹底したリアリズムに、少し救われて映画館を出た。
とりあえず、原作をもう一回読もう。

亡国のイージス 上 (講談社文庫)

亡国のイージス 上 (講談社文庫)

亡国のイージス 下(講談社文庫)

亡国のイージス 下(講談社文庫)