久しぶりにいいものを見ました 容疑者xの献身

平和な一日

大体、10月の連休であるとか、5月の連休であるとか、正月休みであるとか、このあたりに休みを取るのは、システム屋にとっては非常に難しいお話しだったりする。大抵の場合、本番カットオーバーの時期は、このあたりの連休に当て込まれており、それに応じて、移行をやるのが、システム屋の生態だったりするわけである。
で、今回、例に漏れず、私も移行に一応立ち会ったのだけれど、これが予想外にすんなり終り、本日時間をもてあますことに。
なんか、バチがあたりそうだな、こりゃ・・・

久々の映画なのであった

ということで、映画を一人で見に行った。「容疑者xの献身」。

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

亡国のイージス」事件以降、原作自体にかなり思い入れを持っているものが映画化されても、二度と見に行くまい、そう誓ったのであったが、案外誓いなんて簡単に敗れるものである。
テレビの「ガリレオ」の軽さは知っていたので、まあ、ちょっとした時間つぶしに軽く見れる映画、ということで選択してみたのであった。
ところがところが。
最近の私は、見込み違いが多発しているのだけれども、この映画も見込みとまったく違っていた。
二時間半後、私は中年の男が一人で映画を見て泣いているのをごまかすのに、必死になるハメになってしまったのであった。

久々の感動なのであった

映像が原作を越えることなんてありえない、そう私は思っていた。
しかし、この映画を見て、ごくまれに、そういうことが存在するんだ、ということを思い知らされた。
いやいや、そんなことはないよ、という人も多いとは思うんだけれども、あの映画だったら、そんなことを言う人がいても、まあ、おかしくないよね、と、言ってもらえるくらいのレベルにあるんじゃないか、そう思うわけである。
まずは、圧倒的な堤真一
本当にすごい。すごすぎる。ある意味、ラリってる。
彼の演技を見るだけで、2000円の価値は確実にある。
冷静に物事を進めていくときの、感情のない表情。
湯川との対決のときに見せる、心のゆれ。
山上で「今の俺の人生は充実している」と叫んだときと、人生に絶望し、自殺しようとしているときのギャップ。そしてその意味。
最後の慟哭。
今、脳内再生してみても、そのインパクト、その演技はすばらしいの一言に尽きる。
松雪泰子もよかった。
非常に器用な役者さんだから、そつなくこなすだろう、なんて思っていた私がバカだった。
常に不安をかかえつつ、刑事への応対、石神との電話の対応をする姿。
対象的に、ダンカン扮する工藤が店にやってきたときの華やいだ笑顔。
工藤が持ってきた脅迫状を見たときの反応。
最後に、石神を見るその姿。
等身大の花岡靖子が、完璧に出現していた。
「映像」自体も、よかったと思う。
湯川と石神が並んで歩いているときにうつる、空のベンチ。
石神と花岡の電話のシーン。2画面分割で片方が切ると、切ったほうが暗転する。
護送される石神の顔のアップから、カメラがすこしターン。その向こう側に映りこむ、花岡。
そうか、映画ってこういうことができたんだ。
あまり映画を見なかったから知らなかっただけかもしれないけど、こんなやり方で「魅せる」ことができるんだなあ、と感心した。

いい一日

ストーリーは、なんとも重々しいストーリー。
だけど、救われる。
最後、花岡靖子が現れたとき、石神は慟哭する。
最初、私はそれを絶望の慟哭だと思っていた。
けれども、今は違う。
真の救済が彼に訪れた。それによる慟哭なのではないか。
そう思うのである。
平和に始まり、いい映画を見れた、本当にいい一日だった。