「キャリアプラン」なるもの

最近、いきなり年をとった気に・・・

う〜ん、まあ、実は今年、ついに、四捨五入40台突入なわけだったりするのである。なんつーのか、今までの節目とはまったく違う、異質な感覚ですなあ、実際。
だってさあ、キャバクラ行くと、20歳そこそこの子が出てくるわけですよ。5年後、その子は25歳なわけですが、私は40になってるわけですよ。20と35だと、なんとなくまだOKのような気がするが、25と40は、なんとなくNGのような気がするわけですな。
まあ、ただの感覚なんですが・・・

市場価値絶対主義

昔から、業界35歳定年説、なんてのがありまして、ついにその年になってみた昨今。まあ、タイミングよくコメントもいただいたことだし、自分のキャリアプランなんぞを振り返ってみよう、そう思うにふさわしい年なんじゃ〜ないかな〜、なって思うわけである。
まず、今までのところの私。
私は「市場価値絶対主義者」を実践してきた、まあ、そうじゃないか、と思う。
「市場価値」とは何か、というと、結局お客さんが出してくれるお金であり、私の価値は、お客さんが出してくれるお金に換算することができ、その金額を上げる活動こそが、「キャリアプラン」そのものである、まあ、そんな考えで生きてきたわけである。

市場価値絶対主義的思考

で、その考えで行くと、自分の価値は、所詮需要と供給の関係に基づき決定される、という当たり前の真理に落ち着く。
じゃあ、需要が単に多いところにポジションを取ればいいのか、というと、そうでもない。そこには当然供給も多い分野があり、その中で突出しなければ、自分の価値が上がらない、そういうことも当然考えるわけである。
最初の転職を決意したのも、評価でモメたこともあるんだけれど、結局ABAPERという立場に不安を感じたからに他ならない。
まず、SAPというパッケージがコケたらおしまい。当時はまだ、SAPは今ほど確固とした立場を確立していなかった。いくつかのパッケージソフトが対抗馬としてまだ存在し、う〜ん、残るのはどこだろ〜な〜、見たいな感じだった。つまり、需要が無くなる不安。
供給側としても不安だった。今のABAP OBJECTの言語体系は、少々私にはとっつきにくいものだが、昔のABAPCOBOLそっくりだった。そうなると、2000年対応が終わったCOBOLの技術者がなだれをうってSAPに参入するに違いない。今はいいかもしれないけれど、すぐに技術者があふれ、よほどの技量がないとABAPERとして勝負するのはつらいだろう、そう感じたのである。
まあ、結果として、需要のほうも、供給のほうも、私が当時感じていた不安ほどには、現実にならなかった。後者は、2003年ごろに、SAPブームみたいな、どこもかしこもやりますよ〜って感じの時代に、それらしい状態になったことはあったけれども、結局おいしそうだ、という理由で入ったところは、思ったより需要がないなあ、と感じると撤退していったので、今でも基本的にだぶついている、という状態ではない。もちろん、オフショアという新たな供給者が少しずつではあるが、力をつけてきているので、いつまでもそういう状態ではないけれども。
で、結局、パッケージ依存でない部分はどこだろう、そう考えると、やっぱり業務理解かなあ、という結論に達し、コンサルファームの門をたたいたわけである。

コンサルファームでのたじろぎ

一大決心をし、コンサルファームに転職してみたのだが、さてそこにはまた、微妙な衝撃が待ち構えていた。
当時のコンサルファームは、どこもかしこも人員増強をやっていた。今もやっているけれども、500人くらいの体制を、いきなり3000人にまで増強するぞ!!みたいな、比率で言うと、今とはくらべもんにならんくらいのハチャメチャぶりだった。
まあ、だからこそ私みたいな、開発しかやってないし、TOEIC400点しかないヤツでも入社できたんだが、周りをみてみると、そうでもなかった。アメリカでゲノム解析をやっていたアルゴリズムの専門家もいれば、某家電メーカーで経理課長をやってた人もいれば、どこぞの購買部長をやっている人もいた。いわば、その道のプロばっかが、同じ入社月次のセミナーにごろごろいたのである。
いやはや、これは大変なことになった・・・と、正直びびりまくったわけである。こんな連中と競争するのか?俺は??って感じであった。
今なら、もうちょっと冷静に周りが見れるので、大企業での実務経験とコンサルタントとして成功できるか、は、微妙に違うスキルがいる、ってことくらいはわかるようになったのだけれど、当時はまあ、あせった。で、どこに活路を見出そうとしたか、というと、「オールラウンダー」を目指すことにしたのである。

動物うらない「超B級の器用貧乏」

当時はやった「動物うらない」。私はトラで、診断結果は、「なんでもこなす超B級。器用貧乏たまにキズ」だった。これを信用したわけではないけれど、まあ、やるとすると、これだな、とは思った。
実際、その道の専門家に対抗しようとすると、かなりの努力が必要だ。入試で数学の一発勝負をするようなもんで、そこにとんでもない特殊能力を持っている人はいいけれど、正直私みたいな凡人には太刀打ちできない。そうなると、「何かと何かを知っている」という、組み合わせで勝負か、そう思ったのである。
組み合わせで勝負しよう、と考えると、じゃあ、何の組み合わせにしようか、そいうことになる。となると、自分が今持っているスキル・・・ABAP開発のスキルと、これからやろうとするどっかの業務、結果として、最初はサプライチェーンになったんだけど、その組み合わせで勝負しよう、なんて考え、実行に移したわけである。
結果として、それは図にあたった。思ったより、「コンサル」と「開発」の垣根は高かった。それは、両者が自分自身の「肩書き」にしがみつき、双方の領域を理解しようとしない(しないほうが「あいつらが悪い」と、言ってさえいればいいから楽だし)からでもあったんだけれども、双方の言い分を調整するだけで、重宝された。
それからは、味をしめたわけではないんだけれど、ひたすら組み合わせを増やすことに力を注いでみた。結果、FI/CO/AA/PA/PP/MM/SD/PMというモジュール群を、一通りかじるハメになった。「あの人はなんでも知ってる」という変な「神話」みたいのができて、夜中になきながら機能検証したこともあったけれども、そいつは「器用貧乏」だから、まあ仕方ないのであった。

捨ててきた「キャリアプラン

で、市場価値絶対主義の対極にあるのが、社内政治最優先主義、ってヤツだと思う。
まあ、若いころには、これに嫌悪感をおぼえていた。調子のいいことばっかり言ってるだけで、これといった仕事をしているように見えず、得体のしれない「調整」で日々をすごすなんて、社内年金生活者だ!!なんて、本気で思っていた。
しかしまあ、今はそうでもない。
実際問題として、プロジェクトを進めていく上では、社内政治は絶対に必要だ。人員が足りないとき、お客さんとスケジュールでモメたとき、などなど、社内の影響力のある人にアクセスし、必要な対処をプロジェクトに届ける人、というのは必要なのである。
現在、一下請け業者としてプロジェクトにいそしむ私は、こういう人がいないと、まったく身動きが取れないのである。しかしながら、もう、その道を突き進むキャリアプランは選択できないだろう。
だって、四捨五入40歳だから。