靖国参拝の違憲性

今回は政治ネタ。
小泉首相靖国神社参拝は違憲である、という判断が、
阪高裁で出たらしい。


上記の表現が妥当かどうかは、
ネットを見れば、どこそこで議論しているようなので、
まあ、そっちを見てもらえばいいかなあ、
という感じである。
個人的には、主文に直接関係のない部分であっても、
判決理由」でコメントしたのだから、
すくなくとも「判断」だろうなあ、というところで、
上記の表現に落ち着けてみた。


けどねえ・・・
やっぱり普通に論理を組み立てていけば、
違憲の可能性ってのは、やっぱりあると思う。
だって、宗教法人である靖国神社に、
総理大臣が参拝したわけで、
それで、憲法を見れば、素直に読むと、やっぱり違憲だと思う。


だから、やっぱり憲法を変えないといけないんだ、そう思うのである。
まず、設立のいきさつから考えると、
宗教法人とはいいながら、靖国神社は、実質国立戦没者墓地だ。
多神教の国、日本だから、最も敬意を払うため
(そして、怨霊として化けてでてもらわないため)
神として祭っているのだ。
そして、国を守ろうとし、命を亡くした方々に、
私たちは感謝しなければならない。
それも、間違いがない。
で、当然それは、個人のレベルでもそうだし、
「国」としても感謝をするのは当然である。
しかし、多神教の国でないアメリカが作った憲法は、
「死んだら神になる」が、日本人の宗教であることを
理解しないまま作ってあるので、
普通の感情を普通につなげていくと、
違憲」になる、という仕掛けになってしまっているのだ。


そういう意味では、
「私人だから問題がない」
は、逆に「国としては感謝しませんよ」なんだから、
こんな失礼な話はない、そう思うのである。
まあ、憲法・法律違反を、法治国家でやるとまずいだろうから、
そういうレトリックは必要なのかもしれない。
しかし、本論は、さっさと憲法を改正して、
大手を振って、国立戦没者墓地(靖国神社)に
公式参拝ができるようにすることだろう。


せっかくとんでもない議席数をとったのだから、
憲法改正を本気で取り組んでもいいんじゃないだろうか。
そういう議論が出るきっかけとしては、
逆説的ではあるが、今回の判決はよかったんじゃないか、
そう思うのである。