アスベストに思うリスク管理

ということで、今回のお題はアスベストである。
時事ネタな感じなのだが、まあ、ふつーに、
政府は何にもせずに、けしからん!!という結論を出しては、
駄文とは言え、書き連ねる意味っつうのがないわけで、
ちょっと「検証」という作業をしてみようと思うのである。


さてさて、世間のお話を斜め読みしてみる。
ソースは、各新聞記事およびブログの記事である。

  • アスベストの危険性は昭和40年代からWTOが指摘していた
  • 欧米各国ではアスベストの全面禁止がされている(これが本当かは、後述)
  • にもかかわらず、日本での全面禁止は2004年である
  • だから政府の安全対策は甘すぎる

という論旨が、どうも大半である。
まあ、荒っぽくまとめてしまうと、
危ないことがわかっているものを禁止せず、
使い続けるなんて、言語道断じゃあ!!
という論旨であり、結構わかりやすい論旨である。


しかし、ちょっと待って欲しい。
「危ないことがわかっているものを禁止」していない事例なんて、
んなもん、山ほどあるではないか?
例えば、モルヒネ。闇ルートで流れたら、麻薬である。
大体、交通事故の死亡事故の数なんて、本当に万単位。
じゃあ、自動車を作るのを禁止すんの?という話である。
「日本は便利さを追い求めすぎている」
なんてコメントがテレビで流れていたが・・・
じゃあ、そっこー殺人マシンである自動車を破棄していただこうではないか。
死の間際、痛みを減らすモルヒネを使わずに、
のたうちまわってもらおうではないか。


じゃあ、どうしてモルヒネも自動車も社会に認知されているのか、
というと、便利さが非常にわかりやすく、その結果、
「上手く使いましょう」という認識が、
社会に熟成されているから、というように解釈できる。
モルヒネを使う人は、医者だけ。
自動車は、交通ルールをしっかり守って、
交通事故を防ぎましょう、まあ、こんな感じである。


じゃあ、アスベストはどうだったのか?
まず、用途は全く同じで、危険性のない代替品があれば、
それを使えばOKである。
鉄道を縦横無尽に引けば、自動車はいらなくなる、という論旨である。
しかし、どうやらこれといった代替品はなかったらしい。
では、安全に使おう、という取り組みがされていなかったのか、
また、その取り組みは十分だったのか、という点である。


まず、どうしてアスベストが危険か、というと、小さなカケラになって
空気中に飛散すると、それが肺にささって、
ガンの元になる、というのが、メカニズムのようである。
ならば、そもそも「飛ばなく」すればいい、というアプローチが考えられる。
ということで、ネットの記事を見ると・・・
http://www.asahi.com/special/asbestos/TKY200507200215.html
1975年(昭和50年)には、壁に直接吹き付けるのは禁止、
というようになっているのである。
自分の記憶をたどると、たしかこの規制ができてから、
石綿を直接吹き付けていた小学校の校舎が問題になり、
自分の小学校も建て替えになったことを憶えている。
要するに、「全面禁止」はしていなかったが、
一番ヤバイ状態になるのは、結構そっこー禁止していたのである。


そして、日本石綿協会のHPなるものがあり、それを見てみる。
http://www.jaasc.or.jp/
なるほど、工場内の粉塵に対しては、自主規制をやっており、
ほとんどの事業所で、それは守られていたわけですな。
まあ、業界の団体なので、かなり割り引く必要があるとは思うんだが・・・
何にもやっていないっていうのは、
ちょっと話が違うんじゃないか、と、思うわけである。


ただ、じゃあ、75年以前に建てた建物だとか、
そこで働く人に対する健康被害に対する調査だとか、
そもそも業界の自主基準だけでいいのか、
という論点は確かにあって、この点は国には責任がある、
と、考えてもいいかと思う。


ただ、リスクに関する対応は、「やめてしまう」ばかりが正ではない、
ということを指摘してもいいのではないか、と思う。
まとめると、リスクに対しては、

  1. リスク発生の可能性自体を取り除く
  2. リスク発生の可能性を少なくする
  3. リスク自体を小さくする

というアプローチがある。
アスベストに関しては、
1.リスク発生の可能性自体を取り除く」
アスベストを使うのを止める)
2.リスク発生の可能性を少なくする」
(飛散のレベルを小さくする)
3.リスク自体を小さくする」
(定期的ながん検診を義務付け、早期発見を目指す)
という対応になるはずで、1.が利便性の観点から
採用が難しいとなれば、2.3.を検討するのが、常道である。
今回は、その検討が少々甘かった、というのを
反省点にしないと、次につながらないし、
他山の石とすることもできないのである。