若貴という親近感

時事ネタかつ本当にどうでもいい話をネタにしてしまうのである。
しかし、他のワイドショーネタに比べれば、この話は
普通の有名人ゴシップとはちょっと違う、
変な親近感を、私は感じてしまうのだ。


実は非常にえらそうなことを今まで書いておきながら、
私は貴乃花と同い年なのである。
千代の富士を破ったあの一番は、いまだに覚えている。
ちょうど大学受験を間近に控えていたころで、
絶対的な存在だった千代の富士を、自分と同い年のヤツが
やっつけてしまった、という事実と、
E判定D判定が帰ってくる自分の模試の成績とのギャップの大きさに、
日々悶々としていた記憶がある。
もっと単純に言うと、私は貴乃花(当時貴花田)に嫉妬していたのだ。


そして今。
テレビに映っている貴乃花は、もはや私に嫉妬心を抱かせるような存在ではない。
おそらく、私よりも猛烈な嫉妬を持っていた兄に、
いいようにあしらわれているのである。
そのことを恐らく自覚しているが故に、
本来兄のテリトリーであるTV画面に出ては、
慣れない「相撲」をとって、より状況を悪化させていくのである。


他方、私は兄である。
優秀な弟を持ったが故の、そして周りが優秀な弟と違う道を選ぶのを
許さなかったが故の、強烈な嫉妬は想像に難くない。
というか、共感できる。
そうではなかったら、なぜ相撲界に見切りをつけて、
タレント活動や、NFLのセレクションに参加したりするのだ?
弟には負けてしまう世界に嫌悪を覚えて、
勝てる「相撲」を探しに出たに違いないのだ。


こうなってみると、絶対的な強さを持たなかったために、
「世間」をより知ることとなった兄に、
絶対的な強さを持っていた世界のみで生きてきた弟が、
世間の常識を前提としたイメージ戦に勝利することはありえない。
「内輪の話を平気でし、身内の悪口を言う弟」と、
「熟慮の上で、何も話しをしない、立派な兄」
という図式を作ることは造作もないことだ。
内輪の話を平気でするのは、本を出している兄が本家なのに、
そのことを覚えている人は、そう多くないのである。


兄の「ずるさ」に共感を覚え、弟の「世間知らず」に歯噛みをする。
二人から目を離すことができない自分がいる。
オチもなにもあった話ではないが・・・
ただひとつ言えることは、私はより兄のやることに共感を覚えている、という事実。
つまり、自分の親父が死んだときに、同じことを俺はやりそうだ、
という自覚が、普段見ないワイドショーを私に見させているのである。