95年1月17日を振り返ってみる

今回は、この両者のブログから考えたことをまとめてみた。


地震が起こったら、まずこれをしろ!
「「地震の時は水をためろ」はウソ」のウソ - tano13の日記


ただ、最初に、夙川ネタで脊髄反射をしてしまったことを、少々後悔している、という点については、書いておくべきかとも思う。つまり、以下は、中立的に見ようと心がけてはいるが、当然主観も入っている、ということだ。
当事者は当事者しか知らないこともあるが、知っているが故に、中立でいることは、ほぼ不可能だと思う。


時間軸を考えてみる

この両者の議論で、絶対的に違うのは、救援物資が届きはじめるまでの、時間軸の感覚である。

救援物資というものは、大雑把には2段階で用意される。
1段階目:飲料水、食料などの、絶対に必要なもの
2段階目:毛布、衣類、タオルなどの衛生・生活環境整備に使用するもの

1段階目の救援物資が届くまでの日付が、どうやら両者で違うようである。
元ネタのさとなお氏のところに届いたのは、震災発生後1日程度、
JavaBLACK氏のところに届いたのは、だいぶ後、おそらく3日後程度だったのではないか、と、推測する。

3日というのは、おそらく人間が我慢できる最長の日付であろう、そう思うからである。ここまでに飲み水、食料が定期的に届かない、という状態に陥れば、おそらく私も暴動参加者になってもおかしくないな、という感覚値である。
その前提の違いを考えると、「水」についての用途の考えが、両者で決定的に違うのも理解できる。早い段階で飲料水が手に入れば、次の重要な用途はトイレなどの衛生面に移るのはいわば当然で、その段階までの時間では、水は最優先で飲料水にまわすべきで、トイレに使うなんてバカか!という話になるわけだ。

ただ、Tano13氏が指摘しているように(私もそうだが)、自分が住んでいるマンションの貯水槽および水道管が無傷かどうかは、震災発生段階ではわからない。公園の貯水槽も同様である。もし無傷なら、溜めるなんてことはせず、いつくるかわからない飲料水として大事に残しておけ、という、JavaBLACK氏の主張は、結果的に正しいことになるが、もし破損していれば、当座、溜めれるところに溜めておく・・・極端な話、バスタブに溜めてもカセットコンロなどで煮沸すれば、ある程度は大丈夫だし、飲料水として使いまわす・・・という行動のほうが利にかなっている。
つまり、トイレ用に溜めるのはNGだが、飲料水として溜めることは、情報が限られた震災直後段階では当然の行動だと思うわけだ。1段階目の救援物資が届くタイミングが早ければ、トイレ用に流用すればよい。貯水層に残っていることを期待し、溜めない選択をするのは危険すぎる。


ロジスティクス構築の構築と「戦争」

さて、暴動がおきるおきない、という観点では、3日後までに、被災者側への飲料水・食料の継続的な供給が行われること、というのが、トイレ水対飲料水、というシナリオよりも重要なポイントであると考える。そこまでにこのロジスティクスが構築されれば、対立点は解消されるからだ。

このロジスティクス構築に、明らかにマイナスになるのは、被災者の車での移動である。もちろん、この車での移動は、救急救命活動にもマイナスになるため、JavaBLACK氏の言う全体を考えない行動という主張も、スジが通っている。

しかし、さとなお氏の置かれている立場を見てみると、様相は変わってくる。
彼の奥さんは、妊娠9ヶ月であったことがブログの別エントリからわかる。さて、その状態で、車以外の移動手段が現実的にあるだろうか。
段差が発生している道での車の移動は、確かに故障の可能性が高い。しかし、妊娠中の女性の歩く距離を、少なくすればするほど、おなかの子供の生き残る可能性は高くなるのは道理であり、いけるところまで行く、という意思決定をすることは、想像に難くない。しかし、行けば、故障しないまでも、道路渋滞の発生原因のひとつとなり、より緊急度の高い救急救命活動に支障が出ることは自明だ。

ここに、行動を起こさなければ死んでしまうかもしれない(何もなければよし、だが、それは結果論でしかない)自分の子供をとるか、より切迫しているかもしれない赤の他人の命を尊重するか、という、選択が発生する。これを、さとなお氏は、「戦争」と呼んだ、と、私は理解した。JavaBLACK氏は、「じゃあお前を殺してもいいんだな」と、応えたが、もう少し消極的な殺人・・・「あなたを救う救急車が止まり、あなたが死んだとしても、私は自分および自分の身内を優先するがいいんだな」という言葉なら、さとなお氏は、「そういうことだよ。私もそうするから(そうしたから)」と、答えるだろう。

積極的に誰かを殺すわけではないが、間接的に誰かを殺してしまうかもしれない、という状況は、あの日、誰もが経験したはずなのだ。つぶれている家の前を通るとき、少なくとも、その中の人を私は消極的に見捨て、殺した(かもしれない)。しかし、自分の友人のほうが優先だった。それを「戦争」と呼ぶのは、私にはしっくりくる。


つらい作業

つらつらと書いてみたが、やはり、自分の経験がネックになり、この手の話を書くのはつらい。前のエントリで、冷静に見れるようになった、と、書いたが、どうやらウソだったようだ。
ほかにも書いておいたほうがいいことはありそうだが、このへんにしておこうと思う。