15年たって

年も明けて1月も18日。

15年たち、やっと冷静に、95年1月17日を振り返れるようになった気がする。
ちょいちょい書いているけれど、この日、私は友人の死体を掘り出している。
当時は、そんなことで、自分の人生観が変わってたまるか!
なんて思っていたものだけれども、
結果として今、完全にその日にとらわれ、生きている自分も実感する。
避難所で聞いた、Tomorrow Never Knowsを聞くと、
どんだけ下手なヤツが歌うカラオケであっても、当時のことを思い出す。


結婚し、子供ができた、と、聞いたとき、
一番最初に思い出したのは、息子の死体の前で、泣き叫ぶそいつの父親だった。
自分がもしそうなったら?
そうならないためにはどうしたらいいのか?
そのことを、これから一生考えるつもりがあるのか?
「覚悟」なのかもしれないし、ただの感傷なのかもしれない。
けれど、もし、あの日がなければ。
今ほど日々の仕事を真剣にやっているか。
今ほど家族との時間をとろうと努力しているか。
今現在のレベルが、そもそもどうなのか、ということはちょっと棚に上げるが、
やっぱりそれはNoで、もっと劣化しているに違いない。
人生観が変わってたまるか、と、思っていた自分の人生観は、
すべてあの日に向かっていく。


10年目は神戸に行った。
今年は、家族と過ごした。
ヨメは、当時のいきさつをすべて知っているので、
テレビのニュースを、この日だけは、意図的につけようとしない。
いつもは見れないアニメを存分に見れる、子供たちは喜んでいる。
その心遣いが心地いい。


いつか、子供たちにあの日のことを話すことがあるだろうか。
95年1月17日は、5年に一度、ニュースのネタとして消費されるだけの日になり、
追悼式があっただの、特集:地震に備える、なんて話だけが、
ただただ流れていく。
その中で生きてきた子供たちに、何かを話すことがあるだろうか。


答えはないけれど・・・
ただ、子供たちには、長生きしてくれ、と思う。
オチもなにもない話だけれども。