追悼

「いままできみらには、自分のために野球をしろ、と言ってきた。
けど、今年くらいは、みんなのために野球をしてもいいんちゃうか」
95年のキャンプで、仰木監督は、オリックスの選手達にそういったという。
作り話かもしれないが、当時大学生だった私は、単純に感動した。


あのとき、私は神戸にいた。
昨日まで当たり前だった生活が、全部吹き飛んだのを目の当たりにし、
友人が住んでいた場所が、焼け野原になっていて慄然とし、
幸いその友人は無事だったが、別の友人の死体を
一緒に瓦礫の中から掘り出すことになった。


目の前に埋まっている人間がいるのに、
平気で素通りしていく人間たち。
しかも、それが自分の知らない誰かではなく、
自分の友人だったはずの人間。
そして、自らはなんらの行動もしなかったのに、
葬式にだけきて、涙を流していく。
気が付けば、彼の名前は、大学のホストコンピュータの
名前になってしまっていた。


何にむかついているのか、誰を責めればいいのか?
その行き場所はどこにもない。
みんな「被害者」なんだから・・・
悶々としているときの、オリックスの快進撃は、
確かにひとつの救いだった。


がんばろう神戸」なんて、人気取りのキャッチフレーズに違いない、
そう最初は思っていたが、本当に彼らは勝ち続けた。
その中心には、仰木監督がいた。
私たちの期待は、プレッシャー以外の何者でもなかったはずだが、
それでも勝っていった。


そして、優勝を神戸で決めるはずの対ロッテ三連戦。
そのプレッシャーにガチガチになった選手達は、三連敗してしまう。
思えば、そのときのロッテ監督は、ボビー・バレンタイン
三連戦のロッテ側先発は、伊良部、小宮山、ヒルマン。
伊良部は今年現役を引退し、小宮山は現役に復帰した。
ヒルマンがどうなったかは知らないが、
バレンタイン監督は、今年ロッテを優勝させた。
そして、その三戦目、オリックスのファーストで出場していたのは、
阪神の岡田監督だった。


結局その後、西武球場オリックスは優勝を決める。
そして、日本シリーズは、対ヤクルト。
野村・古田に、イチローは完全に封じこまれ、
絶対的なストッパーだった平井は打ち込まれ、なすすべなく敗れた。
野村監督は、今年楽天の監督に就任。
古田は、ヤクルトの選手兼監督に就任した。
あの時の主役たちは、今年もまた主役だった。


あれから10年。
区切りの年に、仰木監督は亡くなってしまった。
全然関係のない他人のはずなんだが、久しぶりに泣いてしまった。


仰木監督、あなたは私を知らない。
あったこともないし、テレビとグラウンドの観客席から以外で、
あなたを見たこともない。
けれど、言いたい。
ありがとうございました。